文化を作り出す事はもちろん、実は「享受」する場合にも多くの体力・気力が必要となります。
それこそゴー宣シリーズなんかは、通読時に揺さぶられるのはもちろん、読後に脳内へ浮かぶ様々な思案を含めて、また定期的に読み返してしまう、とても気力体力時間を使う「省エネじゃない作品」の代表格だと思います(笑)
例えば身体が不自由な状態であっても、漫画でも音楽でも映画でも文学でも、文化娯楽を楽しめるパワーがあるうちは、健康ではなくとも「健全」性が保たれていると言えるでしょう。
一方、身体機能的に健康でも、文化的なものへの感動や関心が持てなくなった状態というのは「不健全」です。重度になるとメンタル的な疾患と判断されるでしょうが、そこまでは行かなくとも、ニヒリズムの支配により類似した状態にある人はかなり多いでしょう。
人民裁判的なキャンセル・カルチャーによる断罪は、そんな層にとって格好の「ごちそう」になります。
推し活から恋愛まで、愛する心理の中核には「肯定」が強く機能しています。肯定を成立させるには、様々な困難を払拭するための気力・体力が必要になり、相互作用によって心の活気が伸びやかに向上して行きます。
一方、否定(それも、立証を伴わない断罪的なもの)は、何の努力もなく「上に立った快感」を得られます。ただし、それは相対的な幻想でしかなく、自分の状態に何の変化も起きたわけではないので、迫り来る虚無から逃げることはできません。
問答無用の理不尽なキャンセルが横行すると、文化全体に萎縮が生じ、「肯定したくなる」魅力あるものが生まれにくくなる。すると、またお手軽に「キャンセル消費」できる対象を探して堂々巡りとなる。
「安さが安さを呼び、結果として活況を遠ざける」これは、経済におけるデフレスパイラルと、構造的にはとても良く似ています。
バランスを欠いた「価格破壊」が市場をおかしくするように、破壊的スキャンダリズムの上におためごかしの「人権」「コンプラ」をまぶしたキャンセル・カルチャーも、豊かさとは真逆の、ニヒリズムの渦の中へ社会を落とし込むのみ。
そんな状況を突破する糸口を、本日14:00からの名古屋ゴー宣DOJO、そして5/25の大阪ゴー宣DOJOで見つけたいと思っています。会場で、配信で、ぜひ積極的に参加してください!